自閉症をもつ兄弟のおはなし

そらです。

ここでは、私の自閉症をもつ兄弟の話をします。

 私が苦しくて、どうしようもなく、生きる意味さえ見失ってたときに、こんなブログがあったら少し元気がでたかな、と思って、過去の自分に話すつもりで、ひっそりと始めてみました。このブログを通して同じような気持ちで苦しんでいる"誰か"に寄り添えたらな、という小さな期待も込めて。

以下から彼の名前は太陽と呼ぶことにします。

 

なぜ苦しかったのか。たぶん、同じ境遇の人を見つけられず、一人で抱え込んでいたんだと思います。

 

小さい頃は何も辛くなかったんです。私にとって自閉症の太陽が当たり前の存在で、大好きで、いつも一緒に出かけたり、遊んだりしていました。

しかし、太陽が思春期に入り、だんだん暴力的になっていきました。自分の思い通りにならないと大声を上げ、両親を自分の感情のままに殴りました。家の中だろうが、ショッピングセンターであろうが、どこでも。

今考えると、彼は良い意味でも悪い意味でも、何も変わっていないだけなんです。幼い頃は誰だって駄々をこねたりしますよね、そしてそれが通じなかったら泣いたり、いじけたり。太陽は心の成長が追いつかないまま、体だけが大きくなったんです。それに加えて思春期(反抗期)というややこしい時期を迎えてしまった。

でもね、そうは言っても、簡単には受け止められないです。大声で暴れる太陽、ただなだめることしかできずに叩かれている両親、外だとその様子を周囲は好奇の目で見てるんです。それが毎日のように繰り返される。私は、家族が好奇の目で見られるために買い物に行ってる訳じゃないのに、その場にいるのも耐えられなくて、いつもトイレに逃げ込んでいました。何よりも知り合いに見られるのを恐れていました。私も思春期真っ只中だったので、自分の見え方を気にしていました。

私って最低だな、と思いませんか?他人から言われなくても、私はしっかり思っていました。逃げていたんですから。でも実際、その場にいて私ができることはなかったのも事実です。暴れている太陽を止めることなんてできないので、両親ですら彼が落ち着くのを待つことしかできないんです。

この時期の心情を正直に言うならば"消えてしまいたい"です。落ち着く場所であったはずの家庭が大きな不安へと像を変え、家に帰るのが嫌になりました。私の大好きな両親は太陽の世話ばっかりしているように見えて、一番大変な状況なのは両親だと分かっていたけど、かまってもらえない寂しさもありました。太陽のことなんて大嫌いでしたし、何なら彼がいなくなれば私の人生はもっと楽しいのに、と思っていました。

でもある日、母が「いちばん苦しいのは太陽だと思う」って言ったんです。さすがに意味が分かりませんでした。なんで?ママでも、パパでも、私でもなく太陽なの?って。これはね、今でも100%理解できているわけではありません。私は、太陽を産んだ母にしか分からないことがあるんだと思っています。でも、太陽も辛いんだってことは分からなきゃいけないって少しずつ思うようになりました。どうしてこう思うようになったかは次の機会にでも書こうと思います。

一番大変な状況の両親に、太陽の親でもある両親に、太陽を傷つけるような発言はできませんでした。太陽を傷つけるということは、両親を傷つけることになるから。でも多分、自分では気をつけてはいたけど傷つけてしまっていたと思います。私も限界だったし、他に太陽について相談できる相手がいなかったのも事実なので。学校では自閉症の兄弟がいることは言いませんでした。変に気を遣われるのも嫌だったし、何より私が知られたくありませんでした。アホなフリして、何も考えてないような態度をとってました。悩んでいること、その原因が自閉症をもつ太陽であることを知られたくなかったから。そうしてるうちに、私は孤独を感じるようになったんです。兄弟喧嘩で愚痴を言う友人、兄弟や家族との幸せなエピソード、私の周りにある幸せが全て私にはないように感じてしまいました。

そこで行き着いた結論が"消えたい"でした。要は、死にたくなったんです。先ほども言ったように私は、太陽が消えてしまえば、と思ったことが何度もありました。そんな自分がいちばん嫌だったんです。そんな恐ろしい考えをする自分の存在を消すべきだと思いました。でもこんな私を救ってくれる言葉はないかって、インターネットで同じ境遇の人がいないか探したことがあるんです。でも以外と自閉症をもつ親の気持ちは見つかるけど、兄弟をもつ人のはありませんでした。だから余計に孤独を感じてしまいました。

だからもし、同じような境遇で苦しんでいる方がいるなら、孤独じゃないよって伝えたいんです。全ての状況が同じなんてことはないと思うけど、私の経験や抱えたことのある感情にひとつでも共感する部分があったら、あなたはひとりじゃないって言いたいんです。だから何?と言われたらそれまでだけど、私がインターネットで探していたのはこの言葉だったから。

あとは、いつこの苦しみから逃れられるんだろう?に対する答え。希望がほしかったんです。この先、太陽の癇癪は改善していくのか、もしそうならどれくらいかかるのか、という答えがほしかったんです。その答えがあれば、今だけの辛抱だって希望を持ちながらなんとか耐えられると思ったから。太陽は落ち着くまでに数年はかかりました。でも今も癇癪がゼロになったわけではありません。太陽なりに少しずつ大人になって、以前ほど酷い癇癪は起こさなくなりました。こればかりは、人によるものだと思っています。数字にしてみると長い期間だと感じると同時に、こんなに短かったんだ、と思うことがあります。具体的な年数を示さないのは、私の思う酷い時期は、あくまで私の基準だからです。でもここで言えるのは、自閉症をもつ彼らは遅いかもしれないけど、すこしずつ確実に成長する、ということです。どうか絶望だけを見ない下さい。

 

あの日の私に"とりあえず"伝えたいことは書けたかな。